WEB作品

[contact]  

⚫︎短編小説

[2025-]

 

⚫︎落語

 

[2025-]

 

⚫︎奇談 こんなコント?も和装&影絵で上演していてリーディング用に覚書

 

『番狂わせの話』

2026.4

 

早春の夕刻、暗くなりゆく廊下を男が歩いていました。

男は小説家でしたが、それほど売れてはいなかったようです。

彼は片付け仕事を終えて帰ろうとしている女中に話しかけました。

先刻切れた電球は男が明日にでも買いに行く心算だと。

女中は表情を変えず、短く礼を言っただけでした。

男には、不可解な思いが残っていました。

女中が、この玄関から廊下を左に曲がった場所に点いていた電球、つまり彼女に見えていない電球が切れると言ったからです。

切れる寸前のおかしな間合いの点滅なども見られないまま、女中が切れると言った少しあとに確かに切れたのです。

なぜ切れることがわかったのか。尋ねられたまま女中は何も言いません。

男はいい機会と思ったのか、今ひとつの疑問を口にしました。

一ヶ月ほど前、女中がこの家屋の前にいるとき、萱島という編集者が来ると言いました。

男は庭先に居り、ほどなく女中の傍らに近寄ったのですが、そのときですら未だ編集者の姿は見えていませんでした。

少しして、事の次第を女中に尋ねようとした頃合いに、漸く彼の姿が向こうの角を曲がって現れたのです。

なぜ萱島くんが来るのがわかったのか。今になって尋ねられた女中は無言です。

男はその少し前、女中に言われ棚の上の植木鉢を床に下ろしたその日の夕方

地震があったことにも触れました。

棚の上にあれば鉢は落ち、割れていたことでしょう。

さらに男は数ヶ月前、隣の部屋から彼女が、書斎にいる自分に声を発したので反射的に起立、その拍子に卓の脚に足の小指をしたたか打ちつけ、痛みに爆音のような叫びを上げたことがありましたが、そのとき男が立つ切っ掛けとなった女中の言葉こそ「足の小指をしたたかに打ちつけますよ」だったのです。

予知能力があるのか。

男は女中に問いました。

何故、萱島くんが現れることが予め分かり、地震が来ることが分かり、小指をしたたかに打ちつけることが分かったのか。

何故、電球が切れることが事前に分かったのか。

女中は、小首を傾げるだけで応えてくれませんでした。

翌日いつものように宅を訪れた女中に男は満を持してこう言いました。

来週、春季競馬の投票券を買う所存なのだが、何号を購入するべきか教えてくれ。

どの回の何号を買えば当たるのかと。

女中は、わかりません、とだけ答えて仕事を再開しました。

次の日も次の日も男は訴え続けたそうです。

今度こそ当てたいのだ。

金が欲しいのだ。

金がもう、欲しくて欲しくて。

世の中、金。

どの馬が一等を取りそうか、私なりに予想は立てた。

競馬はよく知らぬが、世の中には「べギナーズリュック(原文ママ)」という言葉もある。

この馬が先頭で駆け抜けてくれる気がするぞ。

女中は、でしたらその予想に従って購入されたら宜しいのではないでしょうか。

実に素気ない。

少し考えた男はこう付け足しました。

大金が当たればお前に支払う給金も上がるだろう。と。

競馬前日の朝、とうとう男は自らが番号を選定し、女中に見せました。

女中は表情を変えません。

男は、外れているに相違ないと感じました。

ところがその日の夕刻、女中は明日自分も競馬場について行くと言いました。

男は驚き、正直彼女の真意を測り兼ねましたが

どことなく心強いものも感じ、同行を許したそうです。

当日、競馬場に到着した小説家と女中は投票券を購入すべく売場へ徒歩をすすめました。

男は女中にわざと見せるようにして自分が決めた番号をこれまたゆっくり、訂正するなら今だと言わんばかりに時間を取りながら係の者に伝えました。

ところがその瞬間、女中は番号を訂正したのです。

男はほくそ笑む顔を気づかれないよう悶え苦しみながら、女中の言った番号に変更し、投票権を購入しました。

そうか、流石にこの女も、自分の給金が上がると私が言ったのを覚えていて、当たりの券番号を告げたのだ。

場内へと進み視界が開けると、観覧席には異様な熱気が渦巻いていました。

まさしく老若男女が、それぞれの欲望を迸らせ、その瞬間を待っていたのです。

中には(違反なのですが)複数枚の投票権を握りしめた人もいました。

小説家と女中だけが比較的に冷静なように思われました。

やがて号砲の下、馬たちが飛び出し、観客たちの渇望もそこへ流れ込みました。

叫喚が二人を八方から飲み込んでいきます。

全てのレースが終わり、喧騒が潮のように引いていきます。

小説家はしばらく事態を理解することができませんでした。

大方の予想は外れ、見知らぬ一人の男が空前の万馬券を当てる結果となったからです。

果たして、小説家の購入した番号は外れていました。

そして万馬券と化したのは、事もあろうか小説家が予想した、まさにもう少しで買わんとしていた番号のものだったのです。

小説家に当たり散らされながら、女中はやはり小首を傾げるだけでした。

半月ほど経ったころ、こんな事件が報道されました。

万馬券を購入した車夫は自室に押し入られ、金品を奪われたのです。

抵抗したせいで、彼は命まで落としたそうです。

女中はそれらを見越していたのでしょう。

見越した上で外れ番号を小説家に買わせたのでしょう。

存外に時事に疎い小説家は、その事件を知らないかもしれません。

[青空の話]