『せりふの時代』(小学館)
台本が読めるのが嬉しい老舗演劇誌。こんな寄稿をさせて頂きました。
演劇的「笑い」にこだわるコント作家「故林広志」
私は最初、もっぱら関西のTV番組などで演芸の台本を書いていて、そのときに感じた「お笑いの現場の問題点を自分なりにクリアしたい」と言うのが、キャラクターやアドリブに頼らない、作り込んだ台本、音響・照明などを含めたトータルな観せ方のできる「笑い」を作り始めた理由です。しかし今後も、演芸だ演劇だと自分の中でジャンル分けしてしまわず、芸人さんとの共同作業も続けていきます。自分の作品には、日常を入り口に、予想外の展開を経て、何の解決も無い結末を迎えるものが多いですが、非観的なものの見方は好きじゃないので、極力とぼけていたいな、と思います。例えばボサノバが流れ、日差しがふりそそぎ、でもみんな狂っていく。そんな人間のミクロな悲劇を突き放すマクロな視点と、物事の本質や関係性をいびつに拡大変形する遊び心を大事にしてきます。それ以外のことについてはまた電話します。
(小学館『せりふの時代』2000/VOL.16夏号)
14人の演劇人に聞く「私が落語から学んだもの」故林広志
初めて落語の上演を観た人はどんな印象を持つのだろう。拍手で迎えるお客を前に、愉快げに演じていく演者を見てまずこう思うだろう。「立つぐらいしただどうだ?」お金払って観に来てる客を前に、休んでいるところを見せるとは。扇子を煙草のように吸い、布きれを紙に見立てて文字を書く。「小道具ぐらいそろえたらどうだ?」・・立てるところを立たず、小道具も調達できるのに扇子でやり通す。友達いるだろうに独りで喋る。「立たない、使わない、増えない」・・そうやっていろいろ削ぎ落とされたぶん広がる想像力。大劇場の空気が、独りに支配される醍醐味。自分が落語台本を書くときも、描写自体ではなく、客側に何が伝わり、何が想像されるかが関心事。芝居も同じで、客側で補完される全体像から、逆算して演技を決めた方が間違い無い。
落語家は案内役。お客と同じ現在(現実)にいるような顔でマクラのトークを済ませ、そのまま切れ目無く観る者の想像力を起動させ、後は観客それぞれが自由に虚構世界を漂うのに任せる。そのせいか、虚構の終わりを告げるオチのセリフってどこか「お帰りなさい」っぽい。演者が座布団上から動いてもいない「現実」への。
(小学館『せりふの時代』2002/VOL.23)
『本の遊覧BOOKISH』 私が愛した落語本
2003年10月号の『本の遊覧BOOKISH』に掲載された「私が愛した落語本」って文章です・・・
『桂米朝 私の履歴書』(日本経済新聞社) 『笑わせて笑わせて桂枝雀』(淡交社)
スペクタクル、突き抜ける明るさ、人情、芝居に負けない醍醐味。上方落語、ほんとよく残してくれてました。と感謝させてもらうべき立役者の一人、桂米朝師匠。落語少年が戦争を経てすぐ、若干20才で自ら落語会を主催したのは、恩師・正岡容のような研究家としての目線があってのこと。そのせいかこの本には、当時の芸能/社会の状況が確かな筆致でもって記されている。そしてこれが語りすなわち落語になっている気がする。時に歯切れよく、時に柔らかく品がある。更に気づいたこと。「語り」は「過去」を伝えるとき最もその強味を発揮する。いにしえの庶民生活を活写する落語と同じく、言葉にならない過去への憧憬が米朝師の語り口に掻き立てられる。ロマンがね、まるで静かな夜の子守り話のように迫るわけです。当時の空気がひしひしと甦ってくる・・道頓堀の芝居小屋、大学時代に通った東京の寄席や、サラリーマン時代に入門の戸を叩いた桂米団治の家の佇まい。落語への思い、落語家になろうという決断、勉強会や同人雑誌の立ち上げ、TV・ラジオの誕生に合わせて運命が急展開していく様など。しみじみ思うのは、こんな名人に語ってもらって幸せ者だね「当時君」。
そしてそんな「運命の時代」の124ページ目に「昭和三十六年、ユニークな男が入門してきた」と登場するのが桂小米こと前田達。桂枝雀だ。ツーショットの写真がいい。北海道支笏湖。米朝が漕ぐボートの一端にすがすがしく乗る、髪の毛のある枝雀。「船出」って趣をたたえた一場面。
語る米朝に対し、語られることになってしまった枝雀師。体一杯の表現の裏に人物の心理描写を細かく推し量るロジックがあった。求道者のような横顔と、精神的ピンチの後に得た笑顔の極意。のみ込みが早く、哲学書すら「活字は全部、頭の中に拾うてしまった」と読んだ端から古本屋に。自分の落語を完成させることイコール「生きること」のような熱中具合。口癖は「世間さんが(一日八時間)働いてる分、ちゃんと稽古しとかんと顔向けが出来ん」。これは米朝が師匠から教えられた心得「芸人のねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に世間へお返しの途はない」にもつながる禁欲さだ。
職を選び、人生を決める。たかが笑い話とトボケつつ、だからこそ人生に重く強く向かい合ってきた。その思いを、ゆっくり座って語り聞かせましょうって所・・そうか、落語のスタイルは「立ち話じゃ満足させられない」話を語るからこその座り語りというわけか。まーもっとじっくり語りたいからと、寝ころんでもらったら困るけどね。(台本作家・故林広志)
(『本の遊覧BOOKISH』2003年10月号)
『劇の宇宙』(大阪演劇祭実行委員会)
1998年から11回に渡って大体いつも23ページあたりに「読んで面白いコント台本」(と私が判断したもの)を掲載させてもらいました。「演じる役者さんへ」なんて心遣いがありがた迷惑。その中から一つ。
退屈な日常 その11
「ディスカッションコント・口承文化」
* 演じる役者さんたちへ
[難易度] A
テンポや間など入門編として最適
[演じ方] コントの基本が詰め込まれているので初々しく、幾分照れ笑いしながら演じる。
[上演場所] 初々しい場所、西部のフロンティアや富良野の新雪の上など。
1と2、舞台上手・下手から出て来る。
1 (言いにくそう)
2 先輩、話っなんすか、言って下さいよ。
1 (恐ろしそう)口裂け女って女がいるんだ。
2 口裂け女?
1 大きなマスクをしていて・・・それを取るとその女の口は耳まで裂けていて・・・
「私、きれい?」って聞くんだ、で、その後大きな鎌を振り回しながら一目散に
逃げ出すんだ。もう後を追っても追いつけたもんじゃない!逃げ足が速いんだ。
速いったらありゃしない。恐ろしい話だろ。
2 (間)それ、口裂け女が逃げるんすか?
1 そう。
2 ・・・じゃ別に追いかけなくても。
1 で、今日中にこの話を5人の他人に伝えないと身内に不幸が起こるんだ。
2 じゃ仕方ない・・僕5人に伝えてくるっす。
1・2、別れて退場。出てくる。
2 5人とも心底迷惑そうな顔して聞いてました。
1 今度は「口裂けの女」って話を聞いてきた・・
2 え、それ・・ちょっと違う話っすね。
1 その女、マスクを取ると、マスクを取ると・・おちょぼ口をしてるんだ・・・
で、聞くんだ。
2 「私、きれい」って?
1 いや「私?」って聞くんだ。(間)ほうら答えよう無いだろ。
その後大きな鎌を振り回しながら一目散に逃げ出すんだ。
で、この話を10人に伝えないと町内に不幸が起こるんだ。
2 少し範囲が広がったんですね・・・じゃ、10人に。
1・2、別れて退場。出てくる。
2 おちょぼ口見せて話したっす。笑われたっす。
1 ・・・「口裂けの女だあ」って話を聞いてきた。
2 「だあ」が付いたんすね!
1 その女、マスクしていて、マスクを取らない。
2 と、取らない?
1 で、大きな鎌を振り回して一目散に逃げ出す、でも滑って転んですってんてん(笑う)
前の話に比べると少し愉快な話です。で、今日中にこれを250人に伝えないとこの区に
2 250人?伝えないと何が起こるんすか?
1 イナゴの襲来と腸チフスの流行。
2 それはひどい・・でも250人かあ・・じゃ僕、駅の構内放送使ってみるっす。
1 僕は有線にリクエストしてみる。じゃ。
1・2、別れて退場。出てくる。
2 今度は400人だ。
1 もうそんな、無理っすよー。
2 400人に「我慢と聞いて連想する女優は?」って聞かなきゃならない。
1 400人に聞かなきゃならないのかあ。
2 頼んだぞ。じゃないと、お前の弟が深爪するんだから。じゃ(去ろうとする)
2 えっ?
1 いや、お前の弟が深爪する(間。気づいて)別にそれぐらいならな。
2 爪切るときに気をつけさせるので・・・別に
やることが急に無くなり手持ち無沙汰な間。
1 (2に)お前、我慢と聞いて連想する女優は?
暗転。
『中洲通信』(リンドバーグ発行)
今昔芸能&ジャーナリズムを特集する骨太雑誌、これは1998年2月号に掲載されたもの。色んな人々が自分が「大人になった瞬間」を振り返るというリレーコラム。
「大人になった瞬間」
「止まってね」と心に祈りつつ、
始めてタクシーを止めたとき・・・・・
私はコントや落語の台本を書いている。そんな職業柄、日頃から「大人になったと思った瞬間は?」と聞かれることが多い。ということにしておいて、そんなときに私はいつもこう答えることにしている。
「それはタクシーを初めて自分一人で止めたときですよ」
人によって大人になったと感じる瞬間はさまざまだろう。
「サーカスの人に連れ去られる恐れが無くなったときかな」
と言ってのける会社員もいるだろうし、また、
「『半ズボンじゃダメなんだ』と思い知らされたとき」
というポーイスカウト歴三十五年のおっさんもいるだろう。
しかし私に言わせると、見ず知らずの人の運転する車が、自分が手を上げるだけで止まるなんてことこそ「大人になった瞬間」と呼ぶにふさわしいのだ。
私が初めてタクシーを自分で止めたのは中学三年の冬、高校受験の帰りだった。向こうから走ってくるタクシーに向かって手を上げようとするのだが、何かしらドキドキする。やはり「自分ごときに止まってくれるだろうか」という不安があるからなのだろう。また、既に客を乗せて走っているタクシーに手を上げてしまうと何となくその客に「ざまあみろ」と言われて走り去られそうに思うし。手を上げるタイミングが早過ぎるとタクシーの前を走ってるプレジデントを止めてしまうかもしれないし。上の部分に似たような突起があるからといって、間違えて路上教習者を止めてしまうと行き先が凄く限られるし。というような、明らかに今この原稿を書きながら考えたような思いはそのとき抱かなかったにせよ、知らない大人の運転する、しかも商売で人を乗せている車が,自分の手によって自分の前に無事に止まってくれるのだろうか、という浮き足立つような不安感が、私をぐるぐる取り巻いていたはず。
ようやく空車のタクシーが現れ、近づいてきた。私は手を上げた。恐らく心の中で「止まってね」と祈りながら。果たしてタクシーはスピードを落としつつ路肩に寄ってから私の目の前に止まった。私は、寒い風の中から暖房の効いた車内の座席に体を押し込みながら、ひと仕事やり終えたような気分になっていた、と思う。接近してきた衛星を回収した土井さんのような達成感だ。しかしあれはなんで手づかみで回収したんだろうか。ロボットアームじゃなくて。あんだけ最新の科学技術を配した宇宙船なのにさ。といったことはさておき、タクシーを止めた瞬間、社会に加えてもらった気がしたわけですね。自分が。
自分が大人になった瞬間というのは、他人に大人だと認めてもらった瞬間だと言える。「社会が、大人である自分の存在に気づいてくれる」瞬間。自分の内側だけで大人だ大人だと思っていても、そいつは社会的にはあくまで「生意気な子供」に過ぎないわけだから。
そんなこんなで、十分に大人になった今、泥酔客に交じって深夜の大通りでタクシーを拾おうと手を上げる。ところがタクシーたちはスピードを落とさず走り去っていく。大人になったらなったで「社会が自分の存在を認め、そしてそれがどういう存在かジャッジする」という一歩進んだ状況を知る師走。忘年会疲れに加え、明日に備えて何とか家に帰りたい私はいつかと同じようにドキドキしながら手を上げる。恐らく心の中で「止まってね」と祈りながら。
『じゃむちの誤算』(松本工房)
関西の演劇情報誌に傍若無人なコラムをしばらく書かせてもらいました。昔の話ということでお許しを…全11回のうち1篇だけ転載。
vol.4 日本人の忍法「立場隠れの術」
何が「誤算」なの?と疑問に思う人もいるでしょう。このコラムのタイトル。実は意味なんか無いんですよ、全然。あ。これって「誤算」に何か面白い意味を期待していた皆さんにとっては誤算?
今年はオリンピックイヤーでした。
まず日本がだらしなかったようですね。柔道もすっかり欧米や韓国に負けるようになっちゃって(でも、柔道にエチオピアとかマダガスカルとかが柔道着着て出てきたら、『始めたキッカケは何なんですか?』って聞きたくなりますね)。日本は育ちがいいんです、ここ一番に弱い。根性ある国はある国でそりゃ凄い根性持ってますよ。椅子とりゲームなんかやっても絶対髪の毛逆立てて勝ちに行くだろうなって感じ。ある国の水泳の選手なんか「自分の国にプール無いから練習に苦労してます」なんて言ってるんです。家でビニールプール膨らませて練習してんでしょうか。そんな人がプールにある所に連れていってもらったらそら頑張るわ。
日本はね、もうわかっちゃってるんだと思う。オリンピック選手たちも、自分の人生がこれからどうなっていくかも、わかってしまってる。引退後は芸能界か宗教。池谷なんか現役でオリンピック出たときから芸人口調だったもんなー。
地元の期待を受けて、プレッシャーに苦しむってことも予めわかってる。ソコソコで負けたらインタビューで「楽しんでます」の一つ覚えで。前に談志師匠が「『オリンピックは参加することに意義がある』っていうのは勝った奴が謙遜して言うセリフだろう。負けた奴が言うんじゃねえ」って言ってたけど、この「楽しんでます」もそう。野茂みたいに結果出した人が「楽しんでやってます」って言うのが格好いいんであって。楽しんで負けてどうする・・・中南米だったら射殺されてるぞ、大金賭けてるんだし。でもそう言うべきだって面接マニュアルみたいなのが日本選手の中に出来上がってる。
日本人は何せ頭がいい。危機管理できないのは頭がいいからだ。みんなが「どうやりゃ責任逃れできるか」ということを考え出してしまうから。マニュアルの方に責任転嫁して、各々の立場で役者に徹してたらいい。演じればいいだけだ。「こういう立場の人は絶対こう言うべきなんだ」って。
設定された立場において「この人がいかにもやりそう」なことを取り出して演じることは、舞台における人間描写の基本。でも、今回のオリンピック選手や取材陣はわざとらしいんだ。見てて。もはや。そのセリフを期待する人たちがいて、それにそのまんま応える。「やっぱりそう言った」のお約束のセリフじゃ、待ってましたの拍手で終わってしまう。観客の関心が一段落して背もたれにそっくり返って安心してしまう。そうじゃなくて「あれ?」って部分で観客を引っ掛け関心をキープしていく。観客にとっての誤算を作らないといけない。そんなこんなでこのコラムを「じゃむちの誤算」と命名したんです。さてその「じゃむちの誤算」、前置きが長くなりましたが、今回はブルガリアで見つけたおいしいヨーグルト料理の話題でございます。私が初めてブルガリアを訪れたのは私が4才のときに父親が左遷されたそとのき・・・あらまぁもう紙面が無い。これは大誤算。
(JAMCi 1996年10月号)