演劇ぶっく 2005年5月9日号〜2006年3月9日号

故林広志がライブ関係の知り合い各位に宛てた書簡っぽいコラム
「絹ことば」

2005年5月から一年間、演劇ぶっくに連載されたコラム『絹ことば』。練りコントの集い『絹』で交わらせて頂いたコント職人の皆さん方に、感謝を籠めて御挨拶を一筆したためた計6回。散りばめられた珠玉の絹ことばを今一度ねっとりと味わってほしい。

絹ことば 第6回(最終回) 「歓待」〜宮川賢さん〜
拝啓。宮川賢様。

浅春のみぎり、春色俄に動き始めて参りましたこの頃、如何お過ごしでしょうか。4月の宮川賢ソロ公演に台本を提供させて頂くことになりました故林です。考えますればこれが私が東京に出て来て8年、初めて御一緒にお仕事をさせて頂く機会でございます。わーい。上京以前は何かと御一緒させて頂き、御相談に乗って頂いたり、ライブスペースを紹介して頂くなど、「頂く」ばっかりの文末。酒井法子で言えば「ピー」だ。上京直前にお会いしたのは六本木、ラジオ放送を終えられた貴兄は、どこか古風で温かい職人のような笑顔で優しく包み込むようにこうおっしゃったのを覚えています。
「つぼ八る?」

業界。この二文字が京都の田舎侍である私の頭をよぎりました。店に入り注文を済ませ、東京展開のアドバイス。ラジオ同様、話が早くてスパスパわかりやすい。頼れるテンポ。いつのまにか私もこれから進むべき道に確信を持ち始めていました。そして店を出た時・・夜更けは既に深く、日付けは変わっていました。貴兄はどこか古風で温かい職人のような低温ボイスで包み込むようにこうおっしゃいました。
「電車ありんこ?」

芸能界の中心部に近づいた。私は実感しました。そう、宮川さんの頼れる男具合は、ペンションか海の家を仕切る、遊び人オヤジの格好よさを思わせます。色んな経験を積み、若い人のすったもんだをずっと見て来た包容力。マシュマロウエーブのアバンギャルドな感じからビタミン大使の人情テイスト、そして遊園地再生事業団での不条理空間に佇む存在感・・軽妙洒脱と一本筋の通った温かさとを自在に出し分けながら、迷える後輩たちを快く賑やかに迎えてくれる。引っ張って行ってくれる。そんな貴兄の人間的魅力に、私の非人間的な台本が少しでも役立てるような公演となれば幸いかと、くっだらないコントをぱら~んと書いています。
(演劇ぶっく120号/2006年3月9日号)

絹ことば 第5回 「偏在」〜大久保佳代子さん〜
鏡開きの頃も過ぎ、寒気肌を刺すこの頃ですがお元気でおすごしでしょうか。まあ、こないだ電話で話したけどね。2月のTOPS公演でお世話になります故林です。憶えていらっしゃらないかもしれませんが、出会いは私がGOVERNMENT OF DOGSを名乗ってお笑いライブにちょこちょこ出させて頂いていた頃なのです。光浦靖子様とのコンビ『オアシズ』。今聞けば「プロ意識ゼロだったー」とのお話。お腹痛いからと稽古休んでたよ。なんて笑っておっしゃる・・・しかしこの感覚が私を捉えて離さない。トリコですねえ。舞台の大久保さんから立ち昇るあの説得力。のようなもの。あれはまさしく「普通人の感覚」。先頃の明日図鑑の舞台でのっけから『♪翼の折れたエンジェル』を一人歌い上げるってシーンがありましたが「あれ、面白かったっすね~」などと話している中で貴女が余りにも、余りにも普通な御言葉をお発しになったのです。

「人前で歌うのって楽しいな。」
あのね。芸人の言葉ではありません。カラオケ4回目、みたいな言葉です。しかしこれがあの説得力と化すのでしょう。普通人。そう、日本人女性7割が恐らく大久保佳代子なのです。読者の皆さん、あなたの中にもきっと「大久保佳代子」はいる。そう申し上げて過言ではありません。実際、OL業も途絶える事なく続けておられる大久保さんですから、そのへんの普通感覚はお手の物なのでしょう。最強の普通。それを裏付けるこんなありがたい御言葉も以前ございました。
「いつでも最低二十分は、当たりさわりの無い会話が出来ます。」
素晴らしい。そして同時に恐ろしい。私も随分当たりさわり無く対応されてきたが、あの当たりさわり無さはそのへんの賜物だったのか。そしてその普通感覚が時に絶妙なまでのはっちゃけレベルに移行する。オアシズのネタで唐突に♪キューティーハニーを口ずさみながら大胆に着替えたり(あっはっは)、先日の西口プロレスで「彼氏であるレスラーがやられている所に乱入するOL」として大胆に大胆に登場したり。あのシタタカとも言うべき普通―非普通の行ったり来たり。貴女の強さは先頃電話で伺った次の言葉に表れていると思います。
「謝ることも何とも思わない。」
(演劇ぶっく119号/2006年1月7日号)

絹ことば 第4回 「親和」〜本田誠人さん〜
前回のすわ親治さんが50代、その前も確実に40代以上の方を取り上げて参りましたシニアなコラム「絹ことば」、今回はググッと若返ってみたいと思います。30代です。比較的フレッシュ。
拝啓。本田誠人様。
向寒のみぎり、比較的フレッシュにお過ごしでしょうか。今夏はENBUサマースクールにお力添えを頂き誠に有り難うございました。世の中にはその場に溶け込み盛り上げる、天賦の才を持つ人がいらっしゃいます。本田さんは間違いなくその一人。サマースクールでも見事に若い受講生に溶け込んで頂きました。劇団10年、テレビ出演に台本、といったキャリアを封印するかのような若手化・・・スクール初日、受講生たちに自己紹介を兼ねたアンケートに記入させ回収したのですがその翌日のこと。
「一日遅れですけど、書いてきました」
見るといつのまにか手に入れたアンケート用紙。本田さんはその用紙に、受講生の誰より丁寧に、誰より気持ちを込め、「演劇を始めたキッカケ」や「将来の夢」を書き綴ってくれていたのです。若い!20才の受講生なんかよりよっぽど若い!また、受講生の中には37才の方もいらっしゃったけどその人よりは実際に若い!サマー!・・・またエチュードにも加わって頂き、あのキレのいい演技でみんなを引っ張り、終わった後。私が寸評を加えさせて頂いていると本田さんまで気をつけの姿勢で「はいっ」。ダメ出しを受けるところまで引っ張っていってくれている。素晴らしいムードメイクでした。ペテカンの芝居は快い一体感の中、賑やかに進みます。でも終幕近くに訪れる静寂。この静寂が舞台上の全役者が呼吸ぴったりに一体化しているからこその賜物なのです。本田君や濱田主宰の溶け込みの才能はいわば「空気芸」。笑いの完成に不可欠なものなのです。サマースクール初日の授業前、教室に向かおうと共にエレベーターを待っているとき、本田さんはこうおっしゃいました
。
「緊張しますね・・」
ゲスト講師ではなく受講生側なのだ既に。先輩風というよりむしろ後輩風を吹かす。今度小学一年生ぐらい対象のワークショップに一緒に行ってみたい。一体化能力にほころびが出るぞ。
(演劇ぶっく118号/2005年11月9日発行)

絹ことば 第3回 「挙動」〜すわ親治さん〜
拝啓。すわ親治様。

天高く馬肥ゆる秋と申しますが益々御健勝のことと存じます。というより10月の内幸町ホール公演の稽古中で日々お会いしているのに、わざわざ書簡っぽいのが私的には実に歯がゆい、そんなコラムでございます。「言いたいことがあれば直接言ってくれ稽古場で」。痛いほどわかるよん。ともあれ貴兄との出会いには特別なものがございました。言葉を繰り出し言葉を生業にさせて頂いている小生に突きつけられた新たなる、そして根源的主題。それは身体。例えばこんな瞬間がございました・・・私がフリだオチだ構成だと笑いを御説明申し上げてる稽古場、まさにその瞬間、長机に座りメモをお取りになっているすわさんが図らずもお見せになった身体動作。衝撃的でした。
シャーペンの先から芯が飛び出したことにびくっと驚く。
このひと仕草から立ち昇る「笑える空気」いや笑えるんだよ、読者のあんたはその場にいなかったからわからんだろうが・・・一新に身済めていた先っちょから飛び出した芯に、いかつい顔を震わせ丸めた背中を弾ませ程よいタイミングで着地。とぼけた余韻。これです。言葉じゃ太刀打ち出来ません。すわさんの動きからは、たとえそれが日常的な動作であろうと、常にこの「笑える空気」が生まれているのですが、これがTVなどから失われて久しい喜劇役者の味わい、ナンセンスと温かみを併せ持つコメディアンの浮遊感かと。そしてこれこそドリフターズのドラムスとして染み入った音楽センスと『8時だヨ!全員集合』の突貫キャラで話題をさらった破壊的アクションとの賜物かと。そうそう、志村さんの背後に立つ幽霊にも、笑い男にも、昨年の沢田研二さんの舞台の下駄職人にも、すわさんが演じて来た役柄には言葉を越えたおかしみが溢れています。ですからすわさんの場合、本番の舞台上だけではく、出し物の合間の着替えの動きに笑ってしまうのです。劇場に入ってくる時の歩の進め方に笑い、弁当を食べる時の箸使いに笑うのです(ホント)。恐らく寝ていてもその寝姿に爆笑するのです。添い寝出来ません。貴兄とは到底。『ひとりコメディ6』ではまた貴兄の「身体の面白さ」を堪能できるわけですね。ま、私の台本を書く際の動きも負けじと面白くなって来ておりますがね。シェー!とかしております。
(演劇ぶっく117号/2006年9月9日号)

絹ことば 第2回 「愉悦」〜松尾貴史さん〜
拝啓。松尾貴史様。

暑気日ごとに加わる此の頃ではございますが、いかがお過ごしでしょうか。先日AGAPE store『仮装敵国』(台本提供)におきまして、大変お世話になりました。『絹』でもお世話になりました。その昔は当時はポピュラーという公演でもお世話になりました。本当に世話の焼ける私です。徘徊も同然です。さて松尾さんといえば大阪の深夜TV、遡ること20年前のお話しですが、他の芸人さんがやりそうにないモノマネ、他のお笑いさんが取り上げそうにないネタをなさっていたのを思い出します。その思い出とおんなじ香りが昨年私の前をよぎりました。『絹』で松尾さんが演じる台本を書かせて頂く際の打ち合わせの席でのことです。
「錯視図絵使ってなんかやりたいなー」
今でこそ漢字交えて書ける私ですが、当時は「釈由美子使ってなんか犯りたいなー」っぽく聞こえたぐらいだ。そんなとこに目を付けるなんて。「なんか」って・・・作家心にファイヤー。各界著名人が騙し絵フリップ掲げ、手前勝手な解釈を続ける珍奇なリレーコントを書き上げることに。中島らもさんになり切り、ふらふらと錯視図絵を解説なさる御姿を思い出すたび万感胸に迫ります。あの、「なんかやりたいなー」の感覚。面白い事、物珍しい事を楽しむ感覚。それが松尾さんから私が受けた最大の啓示なのです。コーランなのです。以前、御一緒した公演の打ち上げでは連日手品を披露して下さいました。楽しまずにはいられないスピリット。千円札が一万円札に早変わりするマジックには一同びっくり、共演者のMONO土田英生さんなんてずっと腰を浮かせて大騒ぎしていらっしゃいました。また、やはり共演のラーメンズ小林賢太郎さんはライバル意識そのままに松尾さんの横に詰め寄り、千円札を揉み始めた挙げ句「あ~、力不足だから僕の場合は五千円札にしかならないやー」なんだお前ら、打ち合わせ済みじゃあないか。
松尾さんが私のことをこんなふうにおっしゃったことがありました。
「故林君は証拠の残らない悪さをする人だなー」
私としてはいつまでも松尾さんに面白がられる存在でいたいのです。
(演劇ぶっく116号/2005年7月8日号)

絹ことば 第1回 「逡巡」〜モロ諸岡さん〜
拝啓。モロ師岡様。 
 

新緑の色増す候、益々御健勝のこととお慶び申し上げるよ。昨年は2度目の『絹』出演、本当に有難うございました。あの時演じられたキャラクター・・・自殺生徒を「絶対いじめに遭ってなかった」と言い張り続け、やがて自らのいじめられ人生をぶちまけることになる校長先生の余りにパンキッシュなシャウト。今も胸に熱く蘇ります。そういえば昨年は新宿駅でバッタリお会いしたこともありましたね。JRの券売機の前で佇む貴兄に「モロさん!」と声を掛けたはいいものの、予期せぬ出会いの気まずい間に時空の歪みが発生してしまいました。そうです、そして葛藤の挙げ句私は次のようなことばでその沈黙を埋めてしまったのです。「JRですか」なんて不用意なことばでしょう。どうしろと言うんでしょう。しかしモロ様はそんなことばに対し愛情込めてこう返してくれたのです。
「まあ」
あれほど賑やかな新宿の雑踏から一瞬音が消えたようでした。二人の無理無理な会話はもう後戻りできません。私が太田スセリさんの稽古場から雲の上団五郎一座の稽古場に移動する途中だったことを聞いたモロさんは、逡巡の横顔を2秒ほど見せた後こうおっしゃいましたね。
「僕の稽古場にも来てよ、いつか」
ええ、笑いを生業とする二人をつなぐ生命線は「稽古場に来る」ことだったのだよ。モロさんが描く人物は押しなべて皆「こうすればいいのか、いやどうすれば・・・」とお揺れになります。逡巡なさいます。パンチ撃ちながらバイトだけしてた方が楽だと悟るボクサー、全員に見せ場を作ろうと腐心する少年野球の監督。この5月はチェーホフ翻案喜劇にて御一緒するわけですが、あのぜいたくな「2秒の横顔」を今この「演劇ぶっくの後ろの方」を御覧になっている読者の方々にも味わって頂きとう存じます。それでは御自愛してみて!
(演劇ぶっく115号/2005年5月9日号)